■病状
・「自分でやった方が早い」という考えに陥る
■2つの発症パターン
・まわりよりも自分ができてしまうから
・相手に悪いし、お願いが下手だから
■かかる人
・仕事ができ優しい、30代の新人リーダーに多い
■病の原因
・「人のため」と言いながら自分の利益しか考えていない
・まわりの人と一緒に成長しようとしない
・基本的な教育ができていない
・エースピッチャーの快感に浸りマネージャーの喜びを知らない
・自分大好き人間
・「孤独な成功者」になる
・仕事を抱え込み、病気も抱え込む
・つねに「誰かのせい」にして生きることになる
・笑顔と余裕が消える
・いつまでたっても優秀な人が現れない
・誰も信頼できなくなる 誰にも信頼されなくなる
・仕事が途切れると、年賀状も来なくなる
・1人の100歩ではなく、100人の1歩で進むことができる
・まわりができる人だらけになり、大きな仕事ができるようになる
・友達もお金も増える! 昇進、昇給もできる!
・より大きな幸せを感じることができる
・「自分がほめられるための仕事」ではなく本当の仕事ができる
■「任せる」とは「失敗させる権利を与えること」
・失敗の経験を積ませるのが上司の仕事
・失敗は短期的な成果、効率を見た場合の評価
・育てる、任せるから見た失敗は、成長
■まわりの人をヒーローにする
・損な役回りを引き受けてみる
・目先の損を取って、長期的な得を得る
■「任せる」は「仕事をふる」ことではない、と理解する
・仕事は責任とセットで任せる
・責任も与えれば、ふられたほうも俄然やる気になる
■自分のコピーをを作ろうとしてはいけない
・自分がトッププレイヤーだから、つい自分のやり方が正しいと思いがち
・部下に仕事を任せた以上、部下のやり方に口出しはいけない
■計画と検証は一緒にやり、実行は一人でやってもらう
・リーダーの仕事は、P(計画)、C(検証)、A(改善・仕組み化)を全力を注ぐ
・D(実行)の部分は部下に任せる
■あえて70点のマニュアルを作る
・残り30点は部下が自分で考える部分
・独自性を発揮できるように余白を用意しないと、マニュアル人間になってしまう
(via terida)
毎日面倒な事を1年続けてみる。99%の人間は面白いように途中で挫折する。「意味が無い」と思い辞めていくからだ。これでライバルが大幅に減る。毎日3年続けてみる。その市場は少しだけお前の好きに出来るようになる。10年後、お前を馬鹿にしていた人間が頭を下げて戻ってくる。 — 強面の社長が教えてくれた人たらしテク | Commte.net - コムテ (via atm09td)
(via terida)
(via fyeahaishinozaki)
(via fyeahaishinozaki)
今どれくらいCD不況かというと、オリコン200位に200枚台でランクインできるようになって、1995年に発売された「NHKラジオ体操」のCDが発売17年目で突然ランクインしたらしいw —
Twitter / muutaroumusic (via gearmann)
(via terida)
[video]
『過去の素晴らしい発見のほとんどは、“雇われていない人達”から出て来ているみたいなんですよ。』ジョン・ケージ — Twitter / 音楽家の名言・珍言Bot (via deli-hell-me)
(via memomemomemomemomemomemomemo)
(via memomemomemomemomemomemomemo)
河本準一、母親・姉・叔母A・叔母Bが生活保護を受給 総額9792万円 週刊新潮:ハムスター速報
20 名前:名も無き被検体774号+:2012/04/28(土) 02:37:33.50 ID:xQGz6cD1i
では、日本人から。この人が言えば説得力ありますね。
人間のつくった房ですから、人間が破れぬはずがありませんよ。
白鳥由栄
白鳥由栄 - Wikipedia — 20世紀犯罪者の名言集:ハムスター速報 (via tra249)
青森県出身。幼いころに豆腐屋の養子となる。1933年に仲間数人と強盗殺人を犯し、その2年後に自首し投獄。収容された先の刑務所の待遇が劣悪だったことから抗議したところ懲罰を受けることとなり、次々と脱獄と収監を繰り返すこととなった。
網走刑務所脱獄時には、放浪先で傷害致死事件を犯し収監の期間はさらに延長。網走の脱獄の際、特製の手錠と監視口に味噌汁を吹きかけ続け、味噌汁に含まれる塩分で鉄を錆びさせて脱獄するという、時間任せの伝説的な話が残る。
その後終戦まで身を潜め、終戦後に畑泥棒と間違えた農家に袋だたきにされ身を守るため殺害、正当防衛を主張するも札幌地裁から死刑判決が出たために脱獄を決意、看守6人1組で厳重に監視されるなか、白鳥は脱獄に成功する。最後に捕まった際は警官から煙草(当時の煙草は今とは違い、貴重品だった)を与えられたことがキッカケとなり、あっさり自分が脱獄囚だと明かし自首。移送された刑務所で不良囚として扱われ、およそ人間的な対応をされなかった白鳥は、煙草をくれるという親切な扱いをされたことで心が動いたと話している。札幌高裁で審議が再開し白鳥の主張がようやく認められ懲役20年となり、さらに府中刑務所では白鳥を一般の受刑者と同様に扱ったため、白鳥は模範囚として刑に服した。1961年に仮釈放。出所後は建設作業員として就労。1979年、心筋梗塞で世を去った。享年72歳。白鳥は無縁仏として供養されそうになるが、白鳥が仮出所した際に仲良くしていた当時近所の子供だった女性が引き取り、埋葬された。
刑に服しているとき、当時の看守は彼の脱獄を防止するため厳重に厳重を重ね、あらゆる手立てを行ったがいずれも振り切られた。このことから、当時の看守の間では「脱獄するなら、自分が当直以外のときであって欲しい」と口にされるほど恐れられた(当時、脱獄者を出すと看守側も職務怠慢で懲戒処分になったため)。
1日に120kmもの距離を走ることができ、網走刑務所では、手錠の鎖を引きちぎるという怪力ぶりも見せている(結果、重さ20kgもの特製の手錠を後ろ手に掛けられることとなった)。 地中深く突き立てられた煙突の支柱を素手で引き抜き、40歳を過ぎてもなお、米俵を両手に持って手を水平にすることができるなど、その怪力ぶりは常識をはるかに上回る。 また、白鳥は身体の関節を比較的容易にはずすことができる特殊な体質を持っていたとされ、頭が入るスペースさえあれば、全身の関節を脱臼させて、容易に抜け出すことが出来たという。